2016年11月3日木曜日

都電本ガイド(11)トラムとメトロ・都電のすむ街

19987月から9月にかけて、新宿区・豊島区・板橋区・北区の博物館合同企画として

「トラムとメトロ」

展が開催されました。
新宿区と板橋区は合作で、北区は単独で図録写真集を制作・販売しています。

新宿区・板橋区版はかなり豪華な作りで、資料も充実しています。路面電車に関しては両区にとどまらず、都心方面の路線や停留場も紹介されています。新宿区の路線については解説が充実していますが、できればもう少し写真を大きく載せていただければ、さらにありがたいところでした。

志村線に関する記述は5455ページのみであっさりした感じですが、代替バス案内のチラシなど、当時は何気なく取っておいたであろうものが後世の貴重な資料になるあたりに面白さを感じます。なお、41系統代替バスを「105乙系統」としている記述もみかけますが、105乙は1969年(昭和44年)元日から1972年(昭和47年)ごろまで志村車庫-一ツ橋間で運転されていた、旧18系統をほぼカバーする路線のことで、41系統代替バスは番号をつけず「都電代替」の板を掲げていたことがチラシ告知内容からわかります。

18系統板橋本町折り返し便用のサボ「神田橋-神保町-文京区役所-巣鴨駅-西巣鴨→板橋本町」の説明は「昭和37年頃」とされていますが、「文京区役所」への改称は1965年(昭和40年)915日に行われていますから、「昭和40年」の誤りと判定できます。

その下の系統案内図は「駕籠町」「北部原町」「南部原町」「曙町」が残されている一方で、初音町は「小石川一丁目」に変えられていることから、同じく1965915日以降のものです。おそらく志村線廃止前最終版でしょう。

56ページ以降は地下鉄6号線に関する資料で、私も乗車した開通初日の写真は大変懐かしいものです。地下鉄の東武乗り入れ計画について、「都営地下鉄6000形の幕には川越市、志木、大和町などの駅名も記されていた」という話があり、百科事典サイトでは出典不明扱いされているようですが、この「トラムとメトロ」62ページ「6号線の路線計画」で、板橋区郷土資料館学芸員の方が執筆された記事によるものです。現品の写真が掲載されていないことが、つくづく残念です。交通局と東武・東急のバトルについてもこの記事で勉強しましたが、都心へ遠回りになる、池袋を通らないなどといった理由よりも、交通局の地下鉄建設・運営技術に対する懸念が両私鉄の本音だった模様です。

北区版は「都電のすむ街」という表題で、コンパクトな構成です。表紙は王子駅前を走る19系統と32系統ですが、上を走る東北本線の自動車輸送貨車の姿に時代が感じられます。そういえば幼い頃はよく見かけたものでした。

北区内を通っていた都電全系統写真コーナーは、27系統の廃止区間で撮影された写真があまり掲載されていません。その代わり志村線については志村坂上や志村橋の写真もあり、板橋本町停留場の渡り線の存在(交通局制作の軌道配線図における)は、この図録で確認できました。