2016年10月11日火曜日

結びとして

ここまで貴重なお時間を割いてご覧くださりありがとうございました。
おつきあいいただいた方は、さぞびっくりなされたと存じます。

長々と煩わしい、意味不明な話ばかりのくせに威張っている、気位が高い…そのようなご感想をお持ちになる方も当然おいででしょう。

50年も前になくなった鉄道に年寄りオタがむきになって強弁している、みっともない、コミュ障のDQNだろう…と冷笑する向きもおいでかと存じます。
コミュニケーション障害気味は事実ですが。

このブログでは「都電」という、ノスタルジックに飾り立てられがちな交通機関を対象としましたが、単に鉄道趣味の世界のみにとどまらず、人の抱える心理的な傾向や癖について考えること、歴史的資料を見聞する際に必要とされること、そして何より、思考を止めずに自分の目と足と勘に磨きをかけることの大切さがいくらかでも伝わるように意識しつつ書きました。

自ら歩き、観察し、様々な資料にあたるたびに

「対象が人であれ、物であれ、自然・社会現象であれ、敬意を持って接する姿勢こそが最も大切である。」

と気づかされました。

敬意を欠いた表現や発言、態度が、どれほどの誤謬をもたらし、それを拡散していくかの、ひとつの事例としてとらえていただければ幸いです。

頭のおかしい鉄オタのたわごとかもしれません。
“たかが”趣味の世界にすぎないかもしれません。

しかし、楽しんで接するものであるからこそ、より真実に近づくための思考力や洞察力を磨く有効なツールであると考えます。それは人生や社会の重要な局面に接する際、よりよい選択をするための基礎づくりにもなると、私は考えています。

このブログでは、敬意が感じられないと思われる表現や発言に対しては、かなり厳しい意見を述べました。書籍の著者やWebサイトの制作者のみならず、鉄道の世界の大先輩でも、有名な写真家でも、鉄道会社などの企業でも、さらには運営主体の東京都でも、地元自治体の板橋区でも、その姿勢にブレを出さないように心がけました。

時には茶化すような、揶揄するような表現も取りました。
改めて失礼をおわび申し上げますが、不愉快な思いをしたことを契機として、都電志村線や板橋・志村地域に対する敬意を持つように心がけてくださるならば、それにまさる喜びはございません。

私が改めて申し上げても、あまり説得力がないかもしれませんが…。


都電は、今を生きる皆さん、さらにかつて苛立ちを感じていた皆さんの想像を超える、素敵な乗り物でした。

きめ細かいネットワーク、自動車に邪魔されなければ意外にも出せるスピード、階段昇降のない構造…といった、多くの人が語る利点のみならず、乗りながらにして街の表情が見られ、街の名前を知り、地形を身体で覚え、街自体への親しみにつながる効果があります。街や気候の変化に対して鋭敏な感覚を持つこともできます。

たとえ無意識でも、渋滞でなかなか進まないという苛立ちの中でも、それらの感覚は確実に育まれていきます。それは地下鉄や新幹線、近年流行りの、濃い色の硝子窓で密閉する通勤電車、もちろん自家用車には決してできません。

系統番号や停留場、配線などを通じて、論理的な思考力を身につけることもできます。都電の系統は、東京という稀有な都市の顔立ちを理解するために最も適したシステムでした。

そのことが単なるノスタルジーを越えて、ご覧いただいた方々にわずかでも伝われば、それに勝る喜びはございません。

                           201610月 著者